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広島地方裁判所 昭和58年(ワ)1001号 判決

原告

淺田邦彦

原告

淺田好洋

原告

淺田敏春

原告

淺田史郎

原告

淺田清吾

原告五名訴訟代理人弁護士

増田義憲

小笠豊

被告

山田幸太郎

右訴訟代理人弁護士

角田好男

秋山光明

新谷昭治

西垣克巳

主文

一  被告は原告各自に対し、それぞれ金一三〇万七六三八円及びこれに対する昭和五五年一〇月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを四分し、その三を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決の第一項は、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の申立

一  請求の趣旨

1  被告は原告らに対し、それぞれ金五〇八万円及びこれに対する昭和五五年九月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1(当事者)

原告らはいずれも亡淺田キヨノ(昭和五八年六月二日死亡、以下、アサノという)の子(長男ないし五男)であり、被告は肩書住所地において外科医院を開業している医師である。

2(キヨノの死亡までの経過)

(一)  キヨノは、昭和五五年九月一八日午前五時三〇分ごろ、頭部の激痛を訴えて倒れ、嘔吐し、昏睡状態に陥つたため、救急車で被告経営の外科医院(以下、被告医院という)に搬送され入院した。

(二)  被告は、救急隊員や家族らの説明から、倒れて頭を打つたための後頭部打撲症と診断し、レントゲン等の簡単な検査をして、「倒れたのは貧血で、頭部の血管に異常はないから心配いらない」などと原告らに説明した。

(三)  同日夜から、キヨノの意識は回復しはじめ、翌一九日には付添いの原告らと会話ができ、抱えられて手洗いにも行けるようになつたが、なお頭痛を訴え続けるので、原告らが被告に容態を尋ねると、被告は前同様の説明を繰返し、痛み止めの注射や点滴をするだけであつた。もつとも、被告は一方で脳血栓の疑いも持つたもののようで、頭部のレントゲン撮影をしたり腰椎穿刺を試みるなどしたが、腰椎穿刺はうまく行かず断念した。

(四)  同月二〇日、キヨノの頭痛はさらに激しくなり、木槌で頭を打たれるような痛みを訴えたが、被告は病人の気の持ちようだとして、頭を冷やすよう指示するのみであつた。同日夜からキヨノの状態は悪化し、意味不明のことを口走つて暴れるようになつた。

(五)  同月二一日、キヨノはほとんど口もきけなくなり、体も硬直した状態になつたが、被告は、「病人は良くなつたり悪くなつたりを繰返して良くなる。」というだけで適切な処置をとらなかつた。

(六)  同月二二日午前中、原告らは被告の対応に不安を感じて転医を決意し、救急車を呼んで社会保険広島市民病院(以下、市民病院という)にキヨノを転送した。同病院においては、中大脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血でほぼ手遅れの状態と診断され、即日手術が行われた。

(七)  しかし、キヨノは既に脳血管れん縮を来たしており、手術後一旦は意識の改善がみられたものの、脳血管れん縮のため同年九月二四日から再び容態が悪化していわゆる植物人間の状態に陥り、約二年八か月後の昭和五八年六月二日に死亡するに至つた。その死因は、長期植物状態経過中における合併症、特に尿路感染症による高熱を原因とする心不全である。

3(脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血)

(一)  脳動脈瘤とは、先天性その他の原因で脳動脈が瘤状に膨隆したものを指し、瘤が特発的に破裂することによつてクモ膜下出血を起こす。クモ膜下出血とは、クモ膜下腔に出血を来たして脳脊髓液に血液が混入した状態を称し、症状としては、突然の激しい頭痛、嘔吐、意識喪失、項部硬直等がみられる。

(二)  脳動脈瘤の破裂は、一度破裂して出血が止まつても、多くは二週間以内に再破裂を来たし、回を重ねるほど死亡率が高くなるから、一回目の発作(出血)後、再破裂を防止するための手術が必要である。脳動脈瘤破裂による症状は、その程度により五段階(グレードⅠないしⅤ)に分類されるが、グレードⅠ・Ⅱの場合、手術成績は極めて良好で、最近の統計によれば、手術後の社会復帰率は九三パーセントと報告されている。また、手術の時期について、一部に晩期手術を唱える者もあるが、再破裂の防止や血管れん縮の防止のため、早期、特に出血後四八時間以内の急性期に行うべきであるとの考え方が脳神経外科医の間でほぼ確立しており、グレードⅠ・Ⅱはもとより、グレードⅢにあつても、発症後三日以内に手術がなされると、八〇パーセントの高率で社会復帰が可能といわれている。

(三)  クモ膜下出血の診断方法としては、腰椎穿刺による髓液検査とCT検査、脳血管撮影があり、確定診断は脳血管撮影によるが、前記のような症状や髓液検査によつて、その診断は比較的容易である。

4(被告の責任)

(一)  前記のとおり、昭和五五年九月一八日、キヨノが救急車で被告医院に搬送され、被告がこれを受け入れて入院させたことにより、キヨノと被告の間に、キヨノの症状の原因につき被告が外科医師として通常要求される注意義務を尽くして的確に診断し、適切な治療を行い、もし適切な診断・治療・手術等を自らなし得ないときは早期に適当な病院に転送すべきことを内容とする診療契約(準委任契約)が成立した。

仮にそうでないとしても、キヨノの家族である原告らと被告との間で、受益者をキヨノとする右と同一内容の第三者のための契約が成立した。

(二)  被告は救急隊員の説明にとらわれて、キヨノの症状は後頭部打撲を原因とするものと軽く考え、終始その判断を変えることがなかつた。もつとも、被告は後に脳卒中(特に脳血栓)をも疑つたもののようであるが、前記の症状(突然の激しい頭痛、嘔吐、意識障害)は脳血栓にはほとんどみられず、クモ膜下出血に伴うものであるから、さらに項部硬直の有無を十分確認し、髓液検査を実施すべきであるのに、項部硬直については、入院当日硬直がないと見ただけでその後確認することをせず(意識状態が悪い間は項部硬直が発現しないことがある)、また、髓液検査のための腰椎穿刺も一応は試みたものの成功しないまま断念し、再度実施することもせず、結局、クモ膜下出血の診断をすることができなかつたものであつて、右は重大な誤診である(なお、クモ膜下出血と脳血栓との判別は、一般の外科医にとつても困難ではない)。

(三)  また、脳血栓、クモ膜下出血等の脳血管障害(脳卒中)において、絶対安静を第一とする考え方は既に過去のものであり、現在では、直ちに脳神経外科に転送して、CT検査等の諸検査のうえ緊急手術の適否について判断し、適応があれば直ちに手術するのが大原則である。被告は、キヨノにつき脳血栓の疑いを持つたというのであるから、直ちに諸検査や手術の可能な病院に転送して専門医の判断に委ねるべきであつたのに、入院後五日目の昭和五五年九月二二日に原告らの手で転医させるまで、漫然とキヨノを被告医院に入院させたままで、その処置をとらなかつた(被告は県立病院等に転院させるべく自ら電話連絡をしたというが、右は虚偽の主張であつてその事実はない)。

(四)  これらの点で、被告には前記診療契約上の債務不履行の責任がある。また、被告に右のような過失がある以上、同時に不法行為責任をも免れない。

5(因果関係)

脳動脈破裂によクモ膜下出血において、グレードⅠ・Ⅱの者の手術後社会復帰率が極めて高いこと、専門医の間で急性期手術の考え方が確定していることは前記のとおりであるところ、キヨノは、入院後一旦意識状態が回復した昭和五五年九月一八日夜から、その状態が悪化した同月二〇日夜までの間はグレードⅡであつたとみられるから、その間に市民病院等の専門病院に転送され、急性期手術を受けていれば、同人は血管れん縮を起こすこともなく、高い確率で社会復帰が可能であつたと考えられる。一方、手術をしない場合、発症後二週間で約五〇パーセントが、四週間で約七〇パーセントが再出血し、うち七〇ないし八〇パーセントが死亡すると報告されているから、市民病院で手術しなかつた場合、キヨノは再破裂、脳血管れん縮等により死亡した蓋然性が高く、同人の死の結果を、手術を行つた市民病院の責任とすることはできない。

したがつて、被告の前記のよう誤診ないし転送義務違反とキヨノの死亡との間には相当因果関係があるというべきである。

6(損害)

(一)  逸失利益 八〇〇万円

(二)  治療費 一〇〇万円

(三)  葬儀・墳墓費用 一〇〇万円

(四)  慰謝料 一二五〇万円

(五)  原告らの相続

(六)  弁護士費用 二九〇万円

7(結語)

よつて、原告らは被告に対し、それぞれ金五〇八万円及びこれに対する昭和五五年九月二二日(キヨノの転医の日)から支払済みまでの、民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否〈省略〉

三  被告の主張

1  被告医院在院中のキヨノの病状経過及び被告の診断・治療の内容は次のとおりである。

(一) キヨノに対する初診時(昭和五五年九月一八日午前五時四〇分ごろ)において、その臨床症状は昏睡状態(意識障害・運動障害・言語障害)で嘔吐があり、かつ、同人の様子から頭痛が窺われたが、救急隊員によれば、台所で倒れ頭を打つて右状態に陥つたとの説明であつた。そこで、被告はひとまず頭部外傷に起因するものではないかと考えた(後にこれを否定したことも既述のとおり)が、同時に、右のような臨床症状から脳卒中をも強く疑い、池田式脳血管障害鑑別表所定の検査をして鑑別に当たつたところ、同表による評価点は脳血栓、クモ膜下出血、脳出血の順位となつた(なお、同鑑別表は、場合により一部の評価項目を省略してもよいとされているので、当日は絶対安静を第一として髓液検査は行わずに評価した)。一方、被告医院において可能な諸検査を行つたところ、血圧は一六〇―八〇、空腹時血糖値一三〇mg/dl、心電図は正常リズムで著変なし等の結果であつた。以上のような資料から、被告はキヨノに対し、脳卒中及び昏睡、後頭部打撲、高血圧症、糖尿病の病名を付した。

(二) 原告らは、被告が単なる頭部打撲症と診断したかのようにいうが、事実は右のとおりであつてその主張は誤りである。また、入院時に、台所で倒れて頭を打つたとの訴えがあつた以上、医師としてこれを発症の契機と考えることは当然であり、後頭部打撲の病名は事実に則したものであるし、当初キヨノの臨床症状が右打撲によるものではないかと考えたとしても、何ら非難さるべき理由はない。

(三) 右同日入院後の治療処置として、被告は精神神経安定剤ウインタミン一〇mg、意識障害治療剤ニコリン一〇〇mg三本、脳細胞賦活剤チトマックP一五mg、果糖電解質溶液フルクトラクト五〇〇ml、乳酸リンゲル液ラクテック五〇〇ml等を施注した。さらに、同日午前一一時ごろ、ラクテック五〇〇ml、フルクトラクト五〇〇ml、チトマックP一五mg、ニコリン一〇mgを点滴注射した。

(四) 翌九月一九日、被告はキヨノの頭部、胸部、腰部のレントゲン検査を行つたが、頭蓋骨その他の部位に骨折は認めなかつた。一方、クモ膜下出血の疑いがあるため、髓液検査を行うべく腰椎穿刺を試みたが、腰椎の著明な変形(レントゲン写真によつて認められる)のため成功しなかつた。

(五) そこで、被告は頭部CTと脳血管撮影の必要性を考え同日午後一時三〇分ごろ、広島県立病院及び市民病院に電話して転院方を申入れたが、いずれも空床がないとの回答であつたので、ベッドが空いたらお願いする旨を伝えた。

(六) 同日の治療として、午前中から、ラクテック五〇〇ml、ニコリン一〇〇mg三本、チトマックP一五mg、フルクトラクト五〇〇mlのほか、疼痛に対してペルタゾン一五mgを施注、午後にはウインタミン一〇mgを施注した。

(七) 同月二〇日午前一〇時ごろ、キヨノの血圧は一九〇―一〇〇であつた。同時刻ごろ、ペルタゾン一五mg、ラクテック五〇〇ml、ニコリン一〇〇mg三本、フルクトラクト五〇〇ml、チトマックP一五mgを施注したほか、午前一一時に解熱鎮痛消炎剤インダシン坐薬五〇mg一錠、同ボルタレン二五mg三錠、緩和精神安定剤コントロール一〇mg三錠、活性ビタミンB1アリナミンF二五mg三錠を内服させた。

午後七時ごろ、血圧が一九〇以上に上昇したため、血圧降下剤レセルピン一本を使用し、体動不穏に対して催眠鎮静剤一〇パーセントフエーバール一〇〇mgを用い、意識障害治療剤コライト三本及びチトマックP一五mgを頭痛に対しアタラックスP五〇mgを各施注するとともに降圧剤ベハルトRA一錠、解熱鎮痛剤EA二五〇mg六錠を屯服として投与した。

午後八時三〇分ごろ、キヨノは意味不明のうわ言を言いながら暴れ、意識障害下にありながら心・肺は正常でバイタルサインに異常なく、血圧も一三四―九〇と下降した。

(八) 同月二一日、血圧は一五〇―九二、意識障害下でなお少し暴れ、頭痛・嘔吐があつた。午前一〇時、ウインタミン一〇mg、ラクテック五〇〇ml、ニコリン一〇〇mg三本、フルクトラクト五〇〇ml、チトマックP一五mgを施注、その後ウインタミン一〇mgを施注し、午後一〇時にもウインタミン一〇mgを使用した。

(九) 同月二二日も意識障害等の症状は前日と同様であつた。ラクテック五〇〇mg、ニコリン一〇〇mg三本の使用後、原告らの手配によつてキヨノは市民病院に転医した。同病院に入院当時、キヨノは意識混迷、体動不穏、強い項部硬直、右不全麻痺の状態にあつた。

2  以上に述べたように、被告は極めて大きい疾患を有するキヨノを救急患者として早朝に受け入れ、脳卒中と診断してその治療に誠意と努力を傾け、大病院への転院の交渉もしたものであつて、被告の診断、治療や措置に何ら責むべき点はない。また、既述のように、キヨノのクモ膜下出血の症度はグレードⅣないしⅤに該当し、初期出血が多量であつたことを窺わせ、その多量の出血が強い血管れん縮をもたらし、結局、市民病院における手術後の予後不良を来たしたものと考えられる。

ところが、原告らはこれらの点を無視して、あたかも被告が健康体の者を死に至らせたかのようにみなして損害の計算をし、その全額を請求しているのであつて、右は被告の医療行為との間で明らかに相当因果関係の範囲を超え、もしこのような請求が認容されるときは、損害賠償の根本理念である損害負担の公平に著しく反する結果となる。

第三  証拠関係〈省略〉

理由

一請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二請求原因2(キヨノの死亡までの経過)につき、被告の主張1と併せ検討するに、〈証拠〉を総合すると、以下の事実が認められる。

1  亡淺田キヨノ(大正九年七月五日生、当時六〇歳)は、昭和五五年九月一八日午前四時三〇分ごろ、自宅台所で突然倒れて昏睡状態に陥つたため、救急車で被告医院に搬送され、同日午前五時四〇分ごろ収容された。右収容時点でも意識は全くなく、嘔吐、尿失禁がみられ、また、その表情から激しい頭痛のあることが窺われた。その際救急隊員は、キヨノの家族からの事情聴取に基づいて、被告に対し、台所で倒れて頭を打つたらしいと説明した。

2  被告は、右のような症状や説明から、先ず頭部打撲による硬膜下血腫を疑いつつ、血圧、血糖値、心電図等の検査を行つたが、打撲の所見がさしたるものでないところから、一応その疑いを解き、次に脳卒中(脳血栓、脳出血及びクモ膜下出血を含む脳血管障害の総称)との判断を持つた。そこで、池田式脳血管障害鑑別表(一六項目の評価点によつて右三者を鑑別するもの)を用いて判定を試みたところ、評価点の合計は、脳血栓、クモ膜下出血、脳出血の順位となつたので、脳血栓を主位において診療にあたることとした(なお、右鑑別表においては、項部硬直の有無と髓液検査の結果が結論に大きく影響するが、当日キヨノには項部硬直は認められず、また、腰椎穿刺による髓液検査は絶対安静の必要からこれを行わなかつた)。結局、被告はキヨノの症病名としては、「脳卒中及び昏睡、後頭部打撲、高血圧症、糖尿病」と診断し、カルテにもその旨を記載した。そして、治療処置として、被告の主張1(三)のとおり点滴、注射を施した。

3  翌九月一九日、キヨノは意識を取り戻して自ら頭痛を訴えるようになつた(前掲甲六号証((市民病院のカルテ))にも、医師がキヨノの家族から聞きとつた事項として、「翌日は意識清明」との記載がある)。被告は転倒時の骨折の可能性を考えて、頭部・胸部及び腰部のレントゲン検査を行つたが、頭蓋骨その他に骨折を認めなかつた。また、脳卒中の重要な鑑別項目である髓液検査を行うべく腰椎穿刺を試みたが、うまく刺入することができずこれを断念し、その後再度試みることはしなかつた(被告は腰椎の著明な変形のためというが、キヨノの転院先の市民病院において腰椎穿刺が行われたことに照らして、それが不可能であつたと思われない)。

同日の治療として、被告はその主張1(六)のとおりの注射等を施した。

4  同月二〇日にもキヨノの意識はあり、会話も一応可能(前掲甲七号証中に「9/21日多弁ぎみ」との記載がみられ、右は九月二〇日の誤記と推認される)で、激しい頭痛を訴えた。しかし、同日午後八時三〇分ごろ、キヨノは意識不明に陥り、うわ言を言つて暴れる(体動不穏)ようになり、時々嘔吐もあり、そのような状態は翌二一日にも続いた。

二〇日、二一日の治療内容は被告の主張1(七)(八)のとおりである。

原告ら付添家族は、キヨノが右のように苦しむ様子を見て、度々被告に病態を尋ねたが、被告は、良くなつたり悪くなつたりを繰り返して良い方に向かうとの趣旨を述べた程度で、さほど立ち入つた説明をしなかつた。これらのことから、原告らは今後の推移に不安を抱き、同月二一日夜、他の病院への転院を相談し、市民病院に転院の交渉をするなどした。

5  同月二二日朝もキヨノの状態は変らず、被告の主張1(九)のとおり注射等を受けた後、原告らが手配した救急車によつて市民病院脳神経外科に搬送され、同日午前一〇時一〇分ころ入院した(右転院は予め被告に申し出ることなく行われたもので、被告は出発の直後にそのことを知り、急拠同病院への患者紹介の名刺を書いてキヨノの家族に渡した)。

6  市民病院入院時のキヨノの病状は、意識混迷して体動激しく、強い項部硬直があり、また、軽い右不全麻痺がみられた。同病院真鍋医師は、直ちにCT検査を行つて中等度の水頭症、シルビウス裂に小量の血腫を認め、次いで脳血管撮影によつて中大脳動脈に破裂動脈瘤と軽度の血管れん縮を認め、脳動脈破裂によるクモ膜下出血と診断した。そして、再破裂の防止と脳血管れん縮の予防のため、同日午後二時ごろから手術(開頭のうえ動脈瘤をクリップして潰し、周囲に生じた血腫をできるだけ除去するもの)を行い、手術自体は二時間余で順調に終つた。

7  同月二三日に意識レベルはやや改善され、二四日には意識清明(但し、家族相手に多少の言葉が出て、自ら頭痛を訴える程度)となつたが、なお体動不穏があり、言葉は不十分で、運動麻痺もみられた。同日、真鍋医師は手術後の血液成分除去のため腰椎穿刺を行つた。

8  同月二五日、再度脳血管撮影をしたところ、脳動脈の全般に著しい血管れん縮が認められた。そのころから、傾眠、失語症があらわれ、翌二六日にはその程度が進み、麻痺も強くなり、二七日には混迷の状態に陥つた。そして、日を追つてさらに悪化し、同年一〇月九日には、失外套すなわち手足を全く動かさず、呼んでも反応のないいわゆる植物様状態となり、その後約二年八か月にわたつて全く好転することはなかつた。キヨノが右状態に陥つた原因は、専ら脳血管のれん縮にある。

9  昭和五八年六月二日、キヨノは長期植物状態経過中における合併症、特に尿路感染症による高熱等のため心不全の状態となつて死亡するに至つた。

なお、被告は、キヨノの入院の翌日である昭和五五年九月一九日、諸検査の必要のため県立病院及び市民病院に転院させるべく電話で申し入れをしたが、いずれも空床がないとの理由で断われた旨を主張し、〈証拠〉中には右主張にそう部分がある。しかし、当裁判所の広島市民病院及び県立広島病院に対する各調査嘱託の結果(後者は昭和六〇年一二月一〇日付回答にかかるもの)によれば、市民病院においては、昭和五五年九月一九日当日脳神経外科に空床が四あつたこと、原則として二、三床の空床があれば転医申し出を受け入れる取扱いであることが、また、県立広島病院は同日脳神経外科の定数四六床に対し入院患者数は四一名であつたことがそれぞれ認められるし、被告が事実そのような転院交渉をしたのであれば、被告からキヨノの家族に対し、事前または事後に何らかの説明なり意向打診があつて然るべきと思われるのに、そのような事実は証拠上認められない。これらの点に照らして、上掲各〈証拠〉は措信し難く、被告の右主張は採用することができない。

三次に、請求原因3(脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血)について検討するに、〈証拠〉を総合すると、クモ膜下出血の概念やその原因、症状につき概ね請求原因3(一)のとおり認められるほか、以下のような医学上の知見の存することが認められる。

1  クモ膜下出血の一般的な臨床症状として、突然の激しい頭痛、嘔吐、意識喪失、項部硬直があるが、意識状態が特に悪く半昏睡の状態になると、痛みの刺激がなくなるため、項部硬直が不明瞭となり、意識が改善された時点でその硬直が明らかになる場合もある。

原因たる脳動脈瘤の破裂は、脳血管撮影によつて完全に確認されるが、CT検査も重要な確認手段であり、また、腰椎穿刺による髓液検査によつても、クモ膜下出血の有無をほぼ一〇〇パーセント確認することができる(髓液の貯溜されるクモ膜下腔への出血であることによる)。

2  脳動脈瘤の破裂後一旦出血が止まつても、二週間(文献によつては四週間)以内に再破裂を起こす場合が多く、その際の死亡率は四〇パーセント以上に達し、さらに破裂の回数を重ねるほど死亡の危険は増大する。また、破裂後に脳血管のれん縮(血管が押し縮められたように細くなる状態)を来たす場合が多く、その発生率は四〇ないし五〇パーセントとされ、発生の時期については、破裂の数日後からとか、四日後から八日後まで位の間などといわれている。脳血管れん縮の原因はなお十分には解明されていないが、一般的には、出血後の血腫が血管に物理的刺激を与えるため、或いは血液中に含まれる特定の物質が作用するためと解されている。脳血管れん縮の結果として脳硬塞を起こし、麻痺などの後遺症を残すことや、死亡に至る事例も多い。

そこで、クモ膜下出血に対しては、開頭のうえ破裂動脈瘤をクリッピングしてその再破裂の危険を除くとともに、脳血管れん縮の防止のため、クモ膜下腔の血腫を洗浄、除去する手術が有効かつ必要との見解が支配的であり、専門病院においては極めて高い率(例えば三井記念病院神経外科では最近五年間の入院患者一二六人中一一五人)で右手術が行われている。但し、その手術適応と手術の時期については、次に述べるような患者の症状の程度が重要な判断要素となる。

3  脳動脈破裂患者の臨床症状の程度については、ハントとコスニックによる症度分類が広く用いられており、その内容は概ね次のとおりである。

グレードⅠ  意識清明で、症状がないか、あつても軽度の頭痛、軽い項部硬直程度のもの

グレードⅠa  固定した神経症状を有するが、急性の脳症候は消失したもの

グレードⅡ  中等度以上の頭痛、項部硬直を認めるが、片麻痺などの神経症状がなく、意識清明なもの

グレードⅢ  軽度の意識障害、不安せん妄状態、軽度の神経症状を有するもの

グレードⅣ  中等度の意識障害、片麻痺、初期除脳硬直、自律神経障害を示すもの

グレードⅤ  深昏睡、除脳硬直、瀕死状態のもの

注 高血圧、糖尿病、高度の脳動脈硬化症、慢性疾患等の全身疾患を有する場合は、グレードを一つ悪い方にずらす。

4  手術の適応の有無については、基本的には、グレードⅠないしⅢは手術適応、グレードⅣ、Ⅴは脳内血腫例を除いて不適応(グレードⅢ以内に改善するまで手術を待機する)とされるが、その手術の時期については見解が分かれている。

第一は、グレードⅢ以下の場合、手術は早ければ早いほどよいといういわゆる急性期手術の考え方であり、破裂動脈瘤は常に再破裂の危険があることと、脳血管れん縮の原因とみられる血腫などを速やかに除去してその発生を予防する必要があることを理由とする一方、手術による侵襲自体は脳血管れん縮の増悪因子にはならないとの見解に立つものである(「急性期」の定義としては、発作後四八時間以内、或いは発作当日を初日として第三病日以内などと説明されている)。第二は、グレードⅢ以下につき第三病日までの手術を推奨する点で右と同一であるが、第四ないし第八病日ごろまでは脳血管れん縮が多く発生し、その間の手術侵襲はこれを増悪させるので、手術を避け、第九病日ごろになつてれん縮が自然に寛解に向かうのを待つて手術するのが妥当と説くものである。また、第三は、グレードⅢ以下についても早期手術は脳血管れん縮等による予後不良や死亡を招くことが多いとして、二週間程度は内科的治療を施しつつ絶対安静を保ち、その後に手術すべきであるとのいわゆる晩期手術の考え方である。

これらはクモ膜下出血の治療に関する世界的な論題であり、未だ定説は得られていないが、我国においては、かつて第三の見解が多数であつたところ、近年は第一、第二に共通する急性期手術の考え方が主流となつている。

四以上を前提に、請求原因4(被告の責任)について判断を加える。

1 前記二1、2で認定した事実と、医療特に救急医療に関する一般の通念によれば、被告が昭和五五年九月一八日、キヨノを被告医院に受け入れて診察を開始した時点で、被告とキヨノとの間に、同人の症状の原因につき医師として通常要求される注意義務を尽くして的確な診断をし、これに対する適切な治療を行い、また必要に応じて他の適当な病院に転送することなどを内容とする診療契約が黙示的に成立したと認めるのが相当である(右時点ではキヨノの契約能力に問題があるとしても、遅くとも同人が意識を取り戻した同月一九日において、右契約の黙示的成立を認めることができる)。

2  ところで、既述のとおり、キヨノは同月二四日、市民病院において腰椎穿刺による髓液検査を現に受けたのであるから、被告医院においてそれが不可能であつたとは思われず、被告が同月一九日の一回の試みだけでこれを断念したのは早計のそしりを免れない。また、項部硬直についても、それがクモ膜下出血に通常伴う症候である(グレードⅠにおいてさえ、その判定基準にとり入れられている)こと、市民病院においては同月二二日に強い項部硬直が認められたこと、半昏睡の状態では却つて項部硬直が不明瞭となり、意識が改善された時点で明らかになる場合もあること等に照らすと、少なくともキヨノの意識がやや回復した同月一九日、二〇日ごろにはそれが発現し、注意深く観察すればこれを発見し得たものと推認される。そして、髓液検査の結果(血性髓液)と項部硬直とは、ともにクモ膜下出血の診断にとつて重大な要素であり、池田式脳血管障害鑑別表においても、脳血栓、脳出血との鑑別項目として甚だ高い評価点が与えられているのであるから、もし被告が早期にこれらを検査、確認していれば、容易にクモ膜下出血との診断に達し得たはずであり、医師として右検査、確認の義務を尽くさなかつた点において、過失による債務不履行の責を免れない。そして、同時に不法行為上の過失の存在もこれを肯定すべきものである。

3 また、キヨノの入院時における諸症状は、それ自体、医師にとつてクモ膜下出血の疑いを抱くに足りるものであつたとみられるし、現に被告はこれを含む脳血管障害(脳卒中)との判断は得たのであるから、重要な鑑別項目である髓液検査の結果が得られない以上、クモ膜下出血の可能性をも十分に考慮し、そのための諸検査設備を有する専門病院に直ちに転送して、確定診断や手術の要否判断を委ねるべきであつたと考えられ、右転送をしなかつたことも、過失により債務の本旨に沿う履行を怠つたものというべきである(一面において、不法行為上の過失も否定できない)。そして、キヨノの付添家族である原告らが、素人ながら診療に不安を抱き、自ら救急車を呼んで市民病院に転院させるという異例の行動をとり、これを受けた同病院も直ちにクモ膜下出血と診断して即日手術を行つたことなどに照らして、被告の過失の程度は軽くないと判断される。

五そこで、進んで請求原因5(因果関係)について考察する。

1  脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血に対する治療手段として、急性期手術の考え方が主流をなしていることは前述のとおりであり、右は患者の救命はもとより、予後を良好に保つためにも急性期手術こそが有効との見解に立つことが明らかである。しかし、本件においては、被告がキヨノの入院後早期(原告らの主張によれば九月二〇日夜までの間)に転院させ手術を受けさせていれば、同人の死亡(ないし長期の植物様状態)を避け得たか否かが問題とされるのであるから、因果関係の有無を判断するにあたつては、抽象的に急性期手術の有効性などを論ずるだけでは足りず、急性期手術によつて具体的、数量的にどの程度の救命ないし社会復帰の蓋然性があつたか、急性期手術の機会を与えなかつたことにより、その蓋然性が具体的にどの程度失われたかを吟味する必要があるというべきである。

2  この点につき、本件各証拠のうち、手術時期別に救命率(死亡率)・社会復帰率等を数字上明確にしているものとして、前掲甲一七・一八号証、同二八号証、乙一三号証がある。

(一)  甲一七号証は、一九七〇年以後一〇年間に手術が行われた破裂動脈瘤五一二例につき、グレードと手術時期、手術成績の関係を報告するものであるが、その概要は次のとおりである(後記のようにキヨノは手術時グレードⅤとは認められないからこれを省略し、かつ、手術死亡及び寝たきりの数を除く)。

(1) 第一ないし第三病日に手術

グレードⅠ・Ⅱは三一例中就労可能二九(九三・五パーセント)、身の廻りのこと可能二(以下、就労、身の廻りと略称する。)

グレードⅢは一一例中就労九、身の廻り二

グレードⅣは九例中就労三、身の廻り二

(2) 第四ないし第八病日に手術

グレードⅠ・Ⅱは三六例中就労三四(九四・四パーセント)、身の廻り一

グレードⅢは一四例中就労五、身の廻り一

グレードⅣは四例中就労三

(3) 第二週目に手術

グレードⅠ・Ⅱは三四例中就労三二(九四・一パーセント)、身の廻り二

グレードⅢは二四例中就労二一、身の廻り二

グレードⅣは一三例中就労九

(4) 第二週より後に手術

グレードⅠ・Ⅱは二九三例中就労二五七(八七・七パーセント)、身の廻り一六

グレードⅢは二三例中就労一五、身の廻り一

グレードⅣは一二例中就労四、身の廻り三

(二)  甲一八号証は、三井記念病院において手術が行われた一五例について、就労可能となつた者の数を次のように報告している(前同)。

(1) 第一ないし第三病日に手術

グレードⅠ・Ⅱは二〇例中就労一八

グレードⅢは七例中就労五)八五パーセント

グレードⅣは六例中就労二

(2) 第四ないし第八病日に手術

グレードⅠ・Ⅱは一四例中就労一四

グレードⅢは二例中就労二)一〇〇パーセント

グレードⅣはその例なし

(3) 第二週目に手術

グレードⅠ・Ⅱは八例中就労七

グレードⅢは一〇例中就労一〇)九四パーセント

グレードⅣは三例中就労二

(4) 第二週目より後に手術

グレードⅠ・Ⅱは三七例中就労三四

グレードⅢは二例中就労一)九〇パーセント

グレードⅣは三例中就労一

(三)  甲二八号証は、クモ膜下出血後一週間以内に手術した後の社会復帰率について、グレードⅠ・Ⅱの症例では九三パーセント、グレードⅢでは六〇パーセント、グレードⅣでは三八パーセントとしている(その原資料は明らかでない)。

(四)  乙一三号証は、発症後一週間以内に手術を行つた一七二例について、グレード及びタイミング別の手術成績を報告したものであるが、その内容は次の如くである。

(1) 第一ないし第三病日に手術

グレードⅠ・Ⅱは六四例中独立生活可能五八(九〇パーセント)

グレードⅢは二六例中同二一(八一パーセント)

グレードⅣは二一例中同九(四三パーセント)

(2)第四ないし第七病日に手術

グレードⅠ・Ⅱは四〇例中独立生活可能三二(八〇パーセント)

グレードⅢは九例中同四(四四パーセント)

グレードⅣは三例とも死亡

3  ところで、キヨノの症度(グレード)については、被告医院入院当時甚だ重篤であつたが、同日(昭和五五年九月一八日)夜から意識は回復に向かい、一九日から二〇日夜までの間は会話も一応可能になり、自ら強い頭痛(中程度以上とみられる)を訴えていたのであるから、その間は意識清明であつたとみることができ、片麻痺も未だ出現していなかつたことを併せ考えると、症状それ自体はグレードⅡの状態にあつたと判断される。しかし、前掲乙一号証及び被告本人尋問の結果によれば、被告は空腹時血糖値一三〇mg/dlとの検査結果によつて糖尿病と、また、血圧測定値一六〇―八〇によつて高血圧症と診断したことが認められ、前掲甲七号証(市民病院の看護記録)にも、キヨノの家族から既往歴として心肥大、高血圧気味である旨を聴取した記載があるから、これらは前記症度分類の注記にいう、グレードを悪い方に一つずらす要因にあたるとも考えられる。もつとも、これらの資料のみで直ちにグレードⅢと認定すべきか否か、専門医の判断を経ていない点で躊躇せざるを得ず、結局、グレードⅡ、Ⅲのいずれであつたとも断定し難い。

4  そこで、上記2、3を前提として考えるに、先ずグレードⅠ・Ⅱの場合、第一ないし第三病日までに手術を行えば、社会復帰(就業可能及び独立生活可能を含む)の率は九〇パーセントないしそれ以上に達することが、多数の手術例によつて実証されているということができる。

次に、グレードⅢについて右時期に手術を行つた場合の社会復帰率は、前記2(一)において一一例中九(八一・八パーセント)、2(二)において七例中五(七一・四パーセント)、2(四)において二六例中二一(八〇・七パーセント)であり、試みにこれらを通計すると、四四例中三五(七九・五パーセント)となる。なお、2(三)は一週間以内の手術についてであるが、社会復帰率六〇パーセントとしていること前記のとおりである。

一方グレードⅣについては、さらに対象数が少ないうえ、手術の時期によつて社会復帰率にばらつきがあるが、本件の場合、市民病院に転院したのは第五病日にあたり、それ以後どの時期を選んで手術をなすべきかは専ら同病院医師の判断にかかり、被告の関与し得なかつたところであるから、同日以後(各資料の上で第四病日以後)の各手術時期を通じて、手術後社会復帰率を試算するのが妥当である。そうすると、前記2(一)においては、二九例中就労可能一五(五一・七パーセント)、2(二)では六例中就労可能三(五〇パーセント)、2(六)では三例中独立生活可能なしとなり、さらにこれらを通計すると、三八例中就労可能一八(四七・三パーセント)となる。

その他、グレードⅣにつき、一週間以内の手術後社会復帰率を三八パーセントとする報告もあることは、さきにみたところである。

これらの数値を比較すると、グレードⅡの患者に対する第三病日までの手術成績と、グレードⅣの患者に対する第四病日以後の手術成績(手術後社会復帰率)に著しい相違があることはもとより、グレードⅢとⅣ(手術時期はそれぞれ右と同じ)の手術成績を比較しても、その間に無視できない数字上の差のあることが認められるのであつて、キヨノがグレードⅡまたはⅢの状態(第二病日から第三病日夜まで)で手術を受けることができなかつたことにより、その社会復帰の蓋然性は相当程度失われた(換言すれば、右状態で手術を受け得なかつたことが、社会復帰不能のうちでも最悪の場合である長期植物状態化とその後の死亡という結果に、無視できない原因力を与えた)といわざるを得ない。したがつて、被告の前記債務不履行ないし不法行為と、キヨノの植物状態化及びその結果としての死亡との間には、相当因果関係があるというべきである。

そして、上記の各数値の比較に加えて、キヨノが発症当時六〇歳であつたこと(年齢六〇歳以上かそれ以下かを、手術適応の有無判定の一要素とする見解もみられる)や、手術後の救命率ないし予後の良否は、基本的には出血の量自体によつて大きく左右される(その旨の指摘は多い)ところ、キヨノには相当量の出血がみられたこと(真鍋証言)その他発症後死亡に至る上記認定の経過一切に照らして、被告の債務不履行ないし不法行為による損害賠償責任の関係においては、その起因力(因果関係の割合)を三五パーセントと評価し、その限度において被告の損害賠償責任を肯定するのが相当である。

六次いで、請求原因6(損害)について判断する。

1  キヨノの損害

(一)  逸失利益

〈証拠〉によれば、キヨノは昭和五五年九月当時満六〇歳の女子で、職はなく四男方に同居して家事の手伝いをしていたことが認められ、平素の健康状態として、糖尿病や高血圧傾向などがあつたことは前記のとおりである。これらの点から、同人の就労可能期間は七年間、その間の収入は、昭和五五年賃金センサスによる小学・新中卒、企業規模九九人以下の六〇歳女子労働者の平均給与額を下廻らない程度、生活費はそのうち四〇パーセントと認めるのが相当である。そこで、右平均給与額一三〇万五九〇〇円(きまつて支給される額一一四万円、賞与等一六万五九〇〇円)から生活費を控除し、新ホフマン方式により年五分の中間利息を控除して計算すると、その逸失利益の額は、次のとおり四六〇万二五一三円となる。

1,305,900円×(1−0.4)×5.874=4,602,513円(円未満切捨て.以下同じ)

そして、右のうち被告の負担すべき金額は、その三五パーセントに相当する一六一万〇八七九円となる。

(二) 慰謝料

上記認定の診療経過、キヨノの年齢、生活関係、被告の債務不履行の内容・程度、因果関係の割合等一切の事情に照らして、キヨノの精神的苦痛に対する慰謝料としては三五〇万円が相当と認める。

(三) 原告らの相続

原告らがいずれもキヨノの子であることは当事者間に争いがなく、前掲甲二号証によつて他に相続人はないことが認められるから、原告らは、右(一)(二)の合計額五一一万〇八七九円の各五分の一である各一〇二万二一七五円の損害賠償請求権を、相続により取得したこととなる。

2  原告らの損害

(一)  〈証拠〉によれば、原告らはキヨノの死亡に至るまで、広島市民病院に支払つた治療費・入院料等のうち一五四万一九五八円を均分に負担して支払つたことが認められるので、このうち被告が負担すべき金額は、その三五パーセントに相当する五三万九六八五円(原告各自につき一〇万七九三七円)となる。

(二)  葬儀費用

〈証拠〉によれば、原告らはキヨノの葬儀費用(諸雑費を含む)として少くとも八二万一八〇〇円を均分に負担、支払つたことが認められるから、このうち被告が負担すべき金額は、三五パーセントに相当する二八万七六三〇円(原告各自につき各五万七五二六円)となる(なお、墓碑建立費用については、その支出の事実の立証がない)。

(三)  慰謝料

慰謝料に関する原告らの主張は、キヨノの慰謝料請求権の相続を主張するのか、これと別に原告ら固有の慰謝料の支払をも求めるのか必ずしも明確でないが、一応後者の趣旨として判断を加える。既に説示したように、当裁判所はキヨノ本人の慰謝料として被告に三五〇万円の支払を命ずるのが相当と判断するが、右金額は、被告に一〇〇パーセントの責任がある場合の慰謝料額を一〇〇〇万円程度とひとまず考え、前記のような因果関係の割合等を考慮して算定したものであつて、右の一〇〇〇万円は、死亡者本人のみならずその遺族が固有に求め得る慰謝料を合計した額としても、昭和五五年ないし同五八年当時の一般の例に比較して必ずしも低額なものではない。したがつて、本件において原告らは、キヨノの右慰謝料債権を相続して自らその弁済を受けることによつて、原告ら自身の苦痛も慰謝され得るとみるのが相当であり、重ねて固有の慰謝料を請求することはできないというべきである。

(四)  弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、原告らは表記訴訟代理人らに対する手数料及び謝金を均分して負担すべく約していることが認められるところ、本件訴訟の内容、審理の経過、判決による認容額等に照らし、そのうち被告に負担させるべき金額は、原告各自につき一二万円(合計六〇万円)が相当と認める。

3  よつて、被告は原告各自に対し、キヨノの損害賠償請求権の各相続分一〇二万二一七五円と、固有の損害額各二八万五四六三円との合計額一三〇万七六三八円及びこれに対する昭和五五年一〇月九日(キヨノの植物様状態化の始期)から支払済みまでの、民法所定年五分の割合による遅延損害金をそれぞれ支払う義務がある。

七以上の次第で、原告らの本訴請求は上記の限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官田川雄三)

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